学問・資格

語学2

 今日は嵐の一日でした。雷が鳴り始めた途端、うちの老犬は落ち着きがなくなり、落ち着かせるために仕方なく嵐の中、散歩に連れて行きました。

 さて、昨日の続きです。私がどんなふうに勉強しているか。ちなみに、私は基本的に語学は1、読めて 2、書けて 3、話せる ことができればいいと思っているので、例えば英検で1級とるとか、そういう勉強方法はしておりません。

 英語の場合は基本、英文を1、聞いて、2、読んで、3、単語調べて、4、もう一回読んで、5、また聞く を繰り返しております。それと、大事なのは「365歩のマーチ方式」。「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる♪」のです。つまり、復習ですな。一日目に一つやったら、二日目には一つ目と二つ目、三日目には一つ目と二つ目と三つ目、四日目は二つ目と三つ目と四つ目、という感じで進めます。で、何度も復習して、単語のスペルなんかで覚えにくいやつは何回か書いたりしますし、発音が覚えにくいのは何回か英文に合わせてシャドウイングしたりします。幸い英語は音とスペルが割と近いので、単語に関してはそんなに気合いを入れて書いて覚える必要はないと思っております。

 ついでにいうと、中国語はこのやり方ではいけません。なぜなら単語である「漢字」(簡体字ですね)を覚えないといけないので、これは書かないと覚えられません。英語と違って音声表記ではないからです。私はそれで失敗しました。その代わり、少ない文字数で意味を伝えることができる特徴があるので、文章そのものは覚える量は少なくてすみます。

 大事なことは、とにかく忘れてしまう前にどれだけ復習できるか、だと思います。人それぞれ考えがあるとは思いますが、いろいろな勉強方法に手を出した結果、手間はかかりますけども私はこれが一番確実だと思っています。基本的に1、理解して 2、記憶する ことで、ようやく3、使える 状態になる訳で、方法はなんであれ、まずこの1と2両方ともが肝心だと思いますよ。

 ちなみに私が中学生の頃は、2、記憶する の方が重視されていたのではないでしょうか。最近は「いきなり3」が主流です。もう少し細かく言うと、授業時間数も少ないので、「とりあえずなんとなくでもいいから理解させて」「いきなり使わせてみて」「実際に体験させれば覚えるだろう」という流れでしょうか。ですから、とりあえず言わせてみるとか、ゲームとかのアクティビティとか、AET相手に実際にやらせてみる、といったことが重視されます。「記憶させる」手順が欠けております。

 ですから、ゲームやったり体を使ったりするので英語に対する抵抗感はないし、楽しく授業を受けられるかとは思いますが、身には付いてません。というより、覚えさせてないのです。そんなことで英語ができるようになる訳ありません。

 国語なんかでは最近また暗唱を取り入れたりするのが復活しているようです。英語だってやればいいのにと思います。そもそも、文字文化や言語体系が違うんだから、欧米の英語教授法をそのまま取り入れる考えそのものが勘違いなのです。ちょっと方向がずれている気がします。

 外国を旅すると、実は語学の勉強なんて大したことないのではないか、という気がします。日本よりずっと勉強する環境が厳しい国の子供の方が英語の出来が良かったりしますし、また英語に限らず、国境が開いたばかりの街なんかでも、屋台のオバちゃんやバイタクの兄ちゃんがかなりのバイリンガルになっていたりしますしね。変なプレッシャーなく(いや、本当は生活がかかってるからプレッシャーそのものはあるはずだが)明るく前向きに、軽い気持ちでやった方が返って身に付くのではないでしょうか。例えば、カンボジアの遺跡の前で土産物を売りにくる4、5才くらいの子供たちなんていうのは、日本の中学一年生より学校で勉強できる時間はずっと少ない(下手をすれば学校に通えていない)と思いますが、日本の中学一年生より上手に英語を使ってると思います。そういう子供たちがどうやって英語を覚えているのか、研究してもいいんじゃないですかねぇ。

 また批判めいた内容になってしまった。自分の考えを勝手に言うだけになってしまいましたね。まぁ、勉強方法はいろいろあると思うので、一通りやってみて自分に合うのを探す、というのが一番無難ではないでしょうか。ではまた。

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語学

 今日も面接でございました。詳しい話はできませんが、どこの業界も厳しいようですな。

 さっき、そう言えば語学の話題を書こうと思ってずーっと忘れていたことを思い出しました。そうだ、俺って英語教師だったんだっけ… 

 といいつつ、正直言って申し訳ないですが、現場で教えていてハッキリ言って学校で英語なんか身に付かないと思いつつ、仕事をしておりました。

 別にその辺の塾や英会話学校みたいに、学校や教育システムが間違っているとは申しません。ただ、勘違いしてる部分はあると思われます。

 例えば、現在の英語教育だとコミュニカティブ重視、アクティビティ多用の傾向にあります。別に悪いとは思いませんが、いいとも思いません。恐らく、授業時数が今よりも(ちなみに年間105コマが基本です)、少なくとも3倍以上に増えればそれも有効だし、英語もなんとか身に付くかもしれません。

 どうも日本の英語教育研究では、多言語国家の子供が言葉を学習する過程を参考にするケースが多いように思いますが、これは参考になりません。まず環境が違い過ぎます。そういった国では、街に英語があふれてますし(同時表記が多い)、テレビなどでも英語で放送されています。もしこうした国を参考にするなら、それこそ国を挙げて、テレビの英語放送化などをしないとダメでしょう。

 また、小学校からの英語教育も反対です。週1コマだなんて、時間数が少なかったらただゲームやるだけで終わってしまい、身になんかつきません。抵抗感をなくすだなんて、そんなことにどれほどの意味があるのでしょう。そんなことに何年使うつもりなのでしょう。また、「外国は英語教育を早くから始めている」という議論もされますが、では実際それでどれだけ成果が上がっているか、という話は一切されません。

 それより、国語教育をしっかりやるべきでしょう。昔、国際級の担当だった先生から聞いた話ですが、日系2世の子供がブラジルから日本に来るんですが、ポルトガル語は第1言語なんだけどあまり高度な言葉はわからない、かといって日本語だって中途半端、結局コミュニケーションが誰ともとれず帰国してしまう、というケースが多いそうです。ですから、まずは日本語教育でしょう。

 じゃあどうしたらいいか。英語教育に関していえば、私は外国のやり方なんか参考にしないで、日本の「昔」のやり方でいいと思いますよ。ただし、「昔」というのは江戸時代の話です。江戸時代、幕末まで英語は使ってませんが、日本は長崎でポルトガル語を使う必要がありました。当時は「通詞」という役職が専門で通訳・翻訳の仕事をしていたのですが、レベルは相当高かったそうです。

 結局この人たちが幕末英語学習もして通訳に奔走するのですが(詳しくは明石康「サムライと英語」角川+one新書を読んで下さい)、そのポルトガル語や英語を学習した方法でいいんじゃいかと思うんですよ。基本は暗記だったようです。覚えたのをすぐ外国人に聞くなり使うなりする。福沢諭吉なんかもそれで勉強したみたいです。

 勘違いってのはそこですよ。そこまで本気で取り組まなかったら、ただやり方を楽しくするだけ、批判をかわすだけです。身に付くのかどうか、そこが大事なのに、そういう視点にはなってないですね。だって、現時点で少なくとも中学・高校で6年間も勉強するのに、身に付かなかったら時間の無駄だし、やる意味ないでしょ。

 私も世界を旅して、語学に対する考え方がかなり変わったのは事実です。でも、その度にいろんな意味で「日本を大事にしないといけないな」とつくづく思います。日本語にしても歴史にしてもそうですよ。なんか日本って自己がないですよね〜。

 おっと、批判ばっかりして自分の勉強法を書きませんでした。それはまた今度にしましょう。ではまた。

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